私が母より娘を選んだ日①

母から虐待されていたことに気付いたのは、娘を身籠ってからだった。

つまり私は両親が離婚してから母に引き取られ、28歳で妊娠するまでずっと、ずーっと被虐待児である自覚が無かったのだ。


むしろ母が大好きで、母からどうにかして愛されたい、母に褒められたい、母の理解者でありたいと熱望していた。


母には私の名義で作った借金があった。


取り立ての方(この方は決して悪い人ではなかったし、仕事で取り立てていただけなので、以降は職員の方と明記する)も事情を理解して、滞納の封書などは母へ優先的に送るようにしてくれていた。


母はあれこれ理由をつけて、なかなかお金を返していないようだった。延滞金がぶくぶくと膨れてえらい額になっていた。


私の母は教師なので、決して収入が低いわけではなかった。ただ、男癖が悪く、歳下の働いていない男を金で釣って養うのが大好きだった。


母はいくつになってもお姫様みたいな人だった。一回の施術に一万円以上かかるネイルサロンに通い、食材はオーガニックの物を好み、子供が巣立っても3LDKの賃貸マンションに住み続けていた。


そのマンションで、歳下の男性にチヤホヤされながら暮らし、あちこちからお金を借りつつ、取り立てがきつくなってきたら、祖父や叔父に泣き付いて払ってもらっていた。


やがて祖父や叔父に見放されると、私に泣きつくようになった。私は良く、母にお金をあげた。


お金をあげると、母はとても喜んだ。私は長く水商売をしていたのだけれど、母は私の仕事に対して優しかった。


七夕イベントのときには浴衣の着付けをしてくれたし、美容院の予約が取れなかった日には髪の毛を器用にセットしてくれた。そして私からお金をもらって、嬉しそうに笑っていた。