家主さん2

やぬさんは何にでもなることができた。


ご飯屋さんはご飯を作ってくれる。お風呂屋さんは私の髪と体を丁寧に洗ってくれる。


私が一番好きなのは、抱っこ屋さんになったときのやぬさんだ。


やぬさんの膝に座り、首に手を回す。頰と頰をくっつける。やぬさんの髪からは、汗と煙草の匂いがする。


「ゆこさん、今日の抱っこはどうですか?」

「とてもいいです。やぬさんの抱っこは世界一です」


体が大きいやぬさんに抱っこされていると、まるで自分が小人になったように思える。


「ゆこさん、抱っこ終了です」

「もう終わりですか」

「終わりです。僕は煙草を吸います」


お土産のキャスターマイルド5ミリを、やぬさんは嬉しそうにニコニコしながら吸う。


窓を開けて吸わないから、ワンルームマンションの隅々まで煙が満ちる。


私もやぬさんの吐く煙に包まれる。やぬさんの匂いが自分に染み付くことが嬉しい。


私はやぬさんの膝に座る。


「抱っこ屋さんの延長はいくらかな」

「仕方ありませんね。特別に無料です」


毎日やぬさんが作るご飯を食べ、一緒にテレビを観て笑い、手を繋いで眠った。


朝になるとやぬさんが洗濯してアイロンをかけてくれた清潔な服を着て、仕事へ行った。


やぬさんには私しかいなかった。私にはやぬさんしかいなかった。

家主さん

あの人のことを本当に書けるだろうか。一緒に暮らしていたやぬさんのことを。


やぬさんは働かない彼氏だった。いつも家に居た。パチンコ屋で働く私の帰りを、家でただ待っているような彼氏だった。


私は仕事からの帰り道、必ずコンビニへ立ち寄った。

やぬさんが愛煙している煙草、キャスターマイルド5ミリを買う。お土産のキャスターマイルド5ミリを買って、家に帰る。


「やぬさん、ただいま」

「お帰りなさい、ゆこさん」


玄関を開けると、ソースの良い香りが私を包んだ。狭いキッチンで、やぬさんが何かを炒めている。


「ご飯屋さん、今日のメニューは何ですか」

「今日のメニューは焼うどんです」


やぬさんの実家は、山間の町で居酒屋を営んでいる。

幼い頃から店の手伝いをしてきたやぬさんは、料理がとても上手い。


「早く食べたいよ」

「もうすぐ完成だから、着替えておいで」


私は子供のように甘える。やぬさんは母親のように甘やかす。


やぬさんは私より20センチも背が高く、50キロも太っている。

大きな体のやぬさんに抱きつき、すぐ食べたい、いま食べたいと甘えた。

2人目を産みたくない理由

初めに申し上げておきますと、私は別に一人っ子最高!とか、一人っ子しか認めない!とかそういう偏った気持ちを持っているわけではありません。

子供を産むか産まないか、何人産むかはその家庭それぞれの事情や考え方があると思います。

あくまで私が、私個人がどうして1人しか産むつもりがないのか、2人目を欲しいと感じないのかを書いていきます。

1.妊娠がきつい
私はわりと悪阻が重い方だったと記憶している。悪阻まじ無理。怖い。二度と体験したくない。
悪阻中はずっと、「どうしてこんな辛い試練を神様はお与えになられたのか」「もう勘弁して下さい」「私の日頃の行いが悪かったからこんな酷い目にあっているんだ」と毎日シクシク泣いて吐いていた。
悪阻は赤ちゃんが元気な証拠とかそんなの関係ねぇ、悪阻イズ無理オブ無理。

2.仕事が楽しい
転職して以来、今の仕事が楽しくてたまらない。仕事を頑張ってみたい。

3.金
私も旦那も若い頃に満足するまで夢を追ったおかげで、ずっと定職に就いてきた人達と比べて収入が低い。
共働きでなんとか裕福でも貧乏でもない普通の生活が出来ているレベル。
娘1人なら自由な進路選択どんとこいだけど、2人、3人となると、「高校は絶対公立に行って!私立はダメ!大学?奨学金借りて行ってね!!!」とか言わざるを得ない。言いたくない。

4.自分が兄弟がいて良かったと思ったことがない
闇を打ち明けて申し訳ないんだけど、母から弟age私sageで育てられたおかげで、幼少期から「弟いなくなんねーかな」とナチュラルに思っていた。
弟はめちゃくちゃ良い子だし彼に非は全く無いんだけど、そう日常的に思うのを止められなかった。
日々罪悪感があったし、弟も自分だけ贔屓されていることが辛そうだった。
中学生くらいから、「子供は産んでも1人だな、複数人は産まないでおこう」と決意していた。

5.周りの環境
実家が遠方。頼れる義両親(神である)は70代と高齢。



他にも何やかんや理由はたくさんあるけど、こんな感じで私は今後妊娠する予定はありません。

でもこれはあくまで現段階での考えだし、なんか良く分からんけどテンションがバーンて上がってワー!って2人目が出来てTLで妊娠報告した日には、笑ってやって下さいな。

ちなみに近頃ほんとリアルでも育児垢でも2人目ご懐妊報告多いけど、それに対しては心からおめでとうって思ってて、
勝手に祝杯を挙げたり体を労ったり何か手伝えること!手伝えることはないか!!?と昂ぶったりしています。

妊婦さんは尊いです。赤ちゃんは可愛いです。お母さんは凄いです。

質問されることが多かったので、とりあえずまとめてみました。

私が母より娘を選んだ日④

母は警察で、私に暴行を受けたと訴えた。

私も警察へ行き、事情を説明した。


母は私を起訴して、慰謝料をもらい、借金を返済するつもりのようだった。

また、ストレートに、借金を私が完済するなら起訴しないとも言ってきた。


旦那と祖父と、弁護士さんに相談にも行った。が、どうしても私の方が不利だった。


私が先に手を出していたし、私がたくさん殴って蹴っていた。手を出した方が負けって、ありきたりな言葉だけど、本当だと思った。


私と旦那は、コツコツ貯めていたお金で滞納金を清算し、月々決まった額の返済をしていくことを選んだ。


祖父は自分が支払ってやりたかったと言った。母の借金を何度も肩代わりした祖父には、もうお金が無かった。


ごめんって何度も謝る私に、旦那はヘラヘラ笑って、


「ほらー!すぐカッとなるのは良くないって言ってたでしょ、めちゃくちゃいい勉強になったね」

「この金額であの母親と縁が切れるなら安いもんだよ」

「夫婦初めての試練だったね」


凄く優しかった。


このとき、私はようやく母を捨てた。母に向かっていた愛情や熱意を、旦那と娘に生涯注ぐと決めた。


私は母が大好きだった。でも、私がいつまでも母を求めて、母を優先していたら、娘が私になってしまう。


私のように、娘が暴言を吐かれる。

私のように、娘が殴られる。

私のように、娘が母の男に触られる。

私のように、娘が金をせびられる。


考えただけで母への殺意が湧き上がった。母から娘を守りたかった。


私は娘を選んだ。私が金と引き換えに、母を捨てた日。母より娘を選んだ日。

私が母より娘を選んだ日③

それから私は旦那から寝室へ連れて行かれ、ベッドに寝かされた。娘の胎動が激しかった。


旦那と祖父と母は、リビングで話をしていた。途中から職員の方に電話を繋ぎ、次の日の昼に祖父、母、職員の方で今後の返済スケジュールについて話し合うことが決まった。


母は私名義で作った借金を自分で完済すると念書を書いた。


旦那は、私が強く希望しない限り、私と娘を母に会わせるつもりはないと言った。私は母と二度と会うことはないだろうな、と思った。


母は最後まで、「家族が困っているときはみんなで支え合うものだ。ふたばが病気をしたときは入院代だって払ってやったのに!」


と主張していた。


「お前は子供の入院代を肩代わりしたつもりでいるのか!ふたばが入院したのはいつの話だ?あとその入院代は俺が払った!!!」


祖父が一括した。旦那が吹き出した。


初めてお姫様になれなかった母はとぼとぼと帰って行った。

そして母は次の日の話し合いをエスケープし、警察へ駆け込んだ。

私が母より娘を選んだ日②

娘を妊娠し、安定期を過ぎた頃、職員の方から連絡があった。


母の携帯が繋がらない、利用停止の状態になっていると。職員の方が母の職場へ行き話をすると、母はブスっとした顔で、「残りは娘が払うことで話がついていますから、今後は娘に取り立てて下さい」と言ったそうだ。


私はパニックになり、母にラインして自宅へ呼び出した。幸いにもラインは通じた。

1人では冷静に話が出来ないと思い、祖父にも来てもらった。


その頃の私は、妊婦健診で子宮頚がんの検査に引っかかり、かなりナーバスになっていた。

産後すぐに手術をすることになるかもしれない、子供に影響はないのか、不安で仕方ない時期だった。


それに加えて母の借金まで背負わされてはたまらないと思った。

子供が産まれるんだから、今までみたいに母へお金の工面は出来ない。仕事もずいぶん前から昼職に変えた。旦那と娘と普通に、真っ当に生きたかった。


母は自宅へやって来てすぐに、私のお腹を触ろうとした。


私は母へ飛び蹴りをした。


もうボコボコに殴って蹴った。母も抵抗した。掴み合いになった。


「死ね」

「一分一秒でも早く死ね」

「ずっと死んで欲しかった」

「お前の娘に産まれたくなかった」 

「私の娘をお前に殴られてたまるか」

「私の娘まで金ヅルにされてたまるか」


祖父が止めて、丁度タイミング良く帰宅した旦那が止めて、掴み合いは終わった。


私は、私の本音を初めて知った。私は本当は、母の娘に産まれたくなかった。心のどこかで、母が私の娘を虐待するのが怖かった。


娘を守るために、母を殺さないとだめだと思った。

私が母より娘を選んだ日①

母から虐待されていたことに気付いたのは、娘を身籠ってからだった。

つまり私は両親が離婚してから母に引き取られ、28歳で妊娠するまでずっと、ずーっと被虐待児である自覚が無かったのだ。


むしろ母が大好きで、母からどうにかして愛されたい、母に褒められたい、母の理解者でありたいと熱望していた。


母には私の名義で作った借金があった。


取り立ての方(この方は決して悪い人ではなかったし、仕事で取り立てていただけなので、以降は職員の方と明記する)も事情を理解して、滞納の封書などは母へ優先的に送るようにしてくれていた。


母はあれこれ理由をつけて、なかなかお金を返していないようだった。延滞金がぶくぶくと膨れてえらい額になっていた。


私の母は教師なので、決して収入が低いわけではなかった。ただ、男癖が悪く、歳下の働いていない男を金で釣って養うのが大好きだった。


母はいくつになってもお姫様みたいな人だった。一回の施術に一万円以上かかるネイルサロンに通い、食材はオーガニックの物を好み、子供が巣立っても3LDKの賃貸マンションに住み続けていた。


そのマンションで、歳下の男性にチヤホヤされながら暮らし、あちこちからお金を借りつつ、取り立てがきつくなってきたら、祖父や叔父に泣き付いて払ってもらっていた。


やがて祖父や叔父に見放されると、私に泣きつくようになった。私は良く、母にお金をあげた。


お金をあげると、母はとても喜んだ。私は長く水商売をしていたのだけれど、母は私の仕事に対して優しかった。


七夕イベントのときには浴衣の着付けをしてくれたし、美容院の予約が取れなかった日には髪の毛を器用にセットしてくれた。そして私からお金をもらって、嬉しそうに笑っていた。