ド下ネタ
どうしてあんなに若い頃は、熱心にセックスの準備が出来たのかと思う。
付き合っている人ならまだ良い。付き合ってもいない人とセックスをする為だけに、下着を選んで一番お気に入りの服を着て、念入りに化粧をして香水までつけていた。
どうせ服や下着は脱ぐし化粧は色々舐めたり擦ったりでぐちゃぐちゃになるし、香水なんかセックスをする前のシャワーで落ちる。
裸になっても残るのは、手足のネイルくらい。
冬にするセックスの、ペディキュアが厭らしくて好きだった。冬は寒いから。タイツを履くから。靴下を履くから。私は一人暮らしだから。私がペディキュアをしていることに気付けるのは、セックスの相手だけだから。
とにかく私はセックスの準備に励む。セックスをする日は朝から飲み物しか摂らない。少しでもお腹をペタンコにしておく為に。
あと、喉の奥まで入っても嘔吐しにくいように。
そうしてようやくありつくセックスは、大して気持ち良くもないし、楽しくもない。入れて出して入れて出して入れて出して、最後に出して終わり。
たまに最後まで出さない人もいたけれど、それはそれで面倒臭い。終わりが見えないからきつい。
どうしてあんなにセックスを頑張っていたのか、今はもう分からない。ちょっと馬鹿だったんじゃないかなと思う。
ちょっと馬鹿だったってことが分かるだけ、正気に戻ったんだと思う。
1008
今日は娘に苺柄の服を着せている。
妊娠初期の一番ナイーブだった時期、私はなぜか子供の性別は男の子だと疑わなかった。
子供服屋の店頭に並んでいる苺柄の抜群に可愛いワンピースを見て、これがとても欲しいけれど男の子だからな、とため息を吐いたりした。
私は学生の頃から、ずっとずっと女の子を産みたいと思っていた。
たった一人の女の子を、大切に育てたいと思っていた。
夢は叶って、私は女の子を産んだ。私の娘は、男の子みたいな外見の、男の子みたいに甘えん坊な女の子だ。
妊娠中期の思い出
中期になると体調と気持ちがぐっと落ち着いて、また毎日楽しくなってきた。
性別が女の子と分かったときはとても嬉しかった。
この頃には里帰りをしないって決めていたから、生協に加入したり、ワンオペ育児している人のブログを読み漁ったりしてた。
スイカとキュウリとトマトが大好きになって、毎日食べていた。お菓子やアイスも食べまくって、つわりで減った体重はすぐに戻ったし、検診の度に叱られた。
旦那は子供が産まれる前の最後の夏!って感じで、野球観戦やコンサートに一人で出向いていたから、私もそれに合わせて友達と禁煙のバルに行ったり(もちろんノンアル)、しゃぶしゃぶ食べ放題やカラオケに行ったりと思いきり遊んでた。
胎教ってわけじゃないけど、休日はhuluで進撃の巨人を観ていた。サントラも夕飯を作りながらずっと流していた。
胎動が可愛くて、いつも一人じゃなくて二人なのが嬉しくてたまらなかった。職場のトイレで他に誰もいないか確認してから、撫で回しながら小声で話しかけてた。
妊娠初期の思い出
妊娠が発覚し、心拍を確認して間も無く、悪阻がスタート。
吐き悪阻でした。ポカリをひたすら飲んでました。あと口にできたのはガリガリくんみかん味。少しマシになってからは、メロンパン、せんべい、飴を食べてました。
仕事はあまり休まなかった気がする。とにかくマタニティーブルーが酷くて、自宅に一人でいると頭がおかしくなりそうだったから、とりあえず出勤していました。
しかしもちろん吐き気をこらえながら、トイレで吐きながらの業務だから、ろくな仕事が出来ない。
たまたま上司が女性で、その方も妊婦だったときには悪阻が酷かったらしく、めちゃくちゃ庇ってもらってました。意図的に簡単な案件ばかりを回してくれたりして。
今でも本当に感謝しています。
悪阻がおさまってもマタニティーブルーは悪化するばかりで、産院の助産師さんと担当医に説得されて、精神科を受診しました。
ごねにごねたけど、精神科の先生から、絶対に大丈夫だから!赤ちゃんに何か障害があったら私のせいにして良いから!と力説されて、レクサプロを出産まで服用しました。
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ここ数日、みつば(娘)が産まれて初めての風邪を引いていました。こんなときに夫は火曜日まで不在。一人で看病ができるかなって不安に思っていたら、夫が義両親に連絡をしてくれました。
娘と一緒に義実家へ行き、症状が緩和するまで滞在させてもらいました。
本当に助かったし、ホッとしました。娘も昼間はずっとご機嫌で、ニコニコ笑っていました。
まだ夜は少し辛そう。
ママいっぱい抱っこするし、ずっとそばにいるからね。